労働者の過失が60%と認定された、「プレス作業の助手の業務に従事して労働者が、事故により、左腕は手首から、又、右腕は肘関節から約一五センチメートルを残して切断する傷害を受けた」裁判例を紹介します。

【事件番号】 札幌地方裁判所判決/昭和50年(ワ)第1043号
【判決日付】 昭和52年10月18日

       主   文

 一、被告は、原告に対し、金一人一万三七一三円、および、これに対する昭和三七年五月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
 二、原告のその余の請求を棄却する。
 (三)、訴訟費用は、原・被告の平等負担とする。
 四、この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

       事   実

第一、当事者の求めた裁判
 一、原告
  1 被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円、および、これに対する昭和三七年五月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
  2 訴訟費用は被告の負担とする。
  3 仮執行の宣言。
 二、被告
  1 原告の請求を棄却する。
  2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二、当事者の主張
 一、請求原因
  (一) 本件労働災害事故の発生
    原告(昭和一八年一月一八日生)は、昭和三七年三月二〇日、被告会社にプレスエとして雇用され、プレス作業の助手の業務に従事していたが、次の事故(以下本件事故という)により、左腕は手首から、又、右腕は肘関節から約一五センチメートルを残して切断する傷害を受けた。
   1 発生日時  昭和三七年五月一六日午後一時一〇分ころ
   2 発生場所  千葉市都町一一六三番地、被告会社工場内
   3 事故の態様  原告は、右日時、場所において、被告会社工場長訴外神林銀次郎が運転操作する一五〇トンクランクプレスにより、ストーブ台座型加工作業に助手として従事し、右訴外人が、右プレスの一方の側に立ち、材料を下型にセツトしスライドを降下させて成型し、原告が右スライドが上昇した際、成型された材料を下型から取出す作業を繰返していたが、右スライドが上昇したので材料に両手をかけ、これを取出そうと力を入れたとき、スライドが降下(二段落ち)し、原告はその両腕を金型間にはさまれ、本件傷害を負つたものである。
(ニ) 被告の責任
  被告は、原告との労働契約上、使用者として原告を安全に就労させるべき安全保障義務を負担していると解されるところ、本件事故は、次のような被告の安全保障義務の不履行に起因するものであるから、被告は、原告が本件事故によつて被つた損害を賠償する責任がある。
 1 被告による本件プレスの点検整備が不十分であつたため、スライドの二段落ちが生じた。
 2 右事故は、訴外神林のべタルの踏み誤りによるものであるが、本件プレスに、光線式安全装置などの安全装置が設けられておれば、型の中に手が入つているときには、ペタルを踏んでもスライドが下降しないものであるから、この装置を設けないことが本件事故につながつた。
 3 被告は、原告に対し、安全教育を施さず、かつ、経験の少い原告に危険の高い本件プレス作業を命じた。
(三) 原告の損害
  原告は、右傷害治療のため、千葉医大病院に約一か月、千葉労災病院に約一か月それぞれ入院し(入院治療費は労災保険)、その後、昭和三八年一月まで、仕事ができず賃金を支給されない状態で、被告会社の寮に起居し、後、郷里の北海道美唄市に戻つた。
 1 逸失利益
   原告は、事故当時賃金として、被告から月額金一万四、〇〇〇円の支払いを受けていたが、右傷害により労働能力の全部を喪失した。原告は、高校を卒業した健康な男子であつたから、右事故にあわなければ満六七才まで稼働し、男子労働者の平均賃金程度の賃金を得ることができた。従つて、右逸失利益をホフマン式計算法により、年五分の中間利息を控除して事故当時における一時払い額を求めると、別表のとおり合計金三六二五万六一三七円となる。
 2 慰藉料   金五〇〇万円
(四) 損害の填補
  イ、原告は、昭和三八年一月、被告から見舞金として一〇万円の支払いを受けている。
  ロ、原告は、労災保険から昭和五〇年四月分まで、合計金二〇七万七〇八七円の障害年金の支給を受けた。
(五) 結論
   よつて、被告に対し、前記損害合計金四一二五万六一三七円から前記填補額合計金二一七万七〇八七円を控除した残額金三九〇七万九〇五〇円のうち金二〇〇〇万円、および、これに対する本件事故発生の日の翌日である昭和三七年五月一七日から完済に至るまで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害の支払いを求める。
二、請求原因に対する答弁
(一) 請求原因(一)の事実中、原告が被告工場内で、プレス型に両腕をはさまれ、両手首切断の傷害を負つた事実は認めるが、その余の事実は否認する。
  原告は、昭和三七年三月二一日、被告会社の一般工員として雇われたもので、事故当時はプレス作業の助手の業務に従事していたにすぎず、事故の発生も、同年五月一三日午後一時五〇分頃であり、訴外神林銀次郎の運転操作していたのは、一三〇トンポンチングプレスであり、又、その作業内容は、石油ストーブタンク部分の成型作業である。
(ニ) 同(ニ)の事実中、被告が使用者として、原告を安全に就労させるべき安全保障義務を負つていた事実、および、本件プレス機械に安全装置が設けられていなかつた事実は認め、その余の事実は否認する。
  もつとも、安全装置に関する原告の主張には誤解がある。すなわち、プレス機械における安全装置の役割は、ペダルを踏まない限り上型が降下しないという点にあり、不必要な時期に型を降下させず、手を保護させる意味があり、上型が降下しているとき勘違いして型の間に手を入れた場合には、その降下をとめることができないものである。
(三) 同(三)の冒頭の事実は認めるが、同1の事実、および、2は知らない。
 原告は、むしろ、本件事故による傷害の形態から、今後被告会社で就労することは困難と考え、被告会社代表者と相談の結果、郷里で養鶏業を始めようと考え、依願退職の形で郷里に戻つたものである。
 (四) 同(四)の事実は認める。
三、被告の抗弁
(一) 被告会社には、次のとおり、帰責事由がない。
 1 本件プレス機械は、昭和三七年二月、訴外極東工業株式会社の製作にかかり、被告会社は、昭和三七年三月、右機械を購入して、被告工場内に設置した。右機械は、当時の新鋭機であり、回転数の遅い、危険度の極めて少ない機械であつて、その作業に当つては、その機械を直接操作する工場長の訴外神林銀次郎が、自ら、事前に機械を点検し操作をはじめるものであつて、もし、機械の調子に異常を生じ、又は、生ずる点があれば、直ちに機械の製作会社に連絡し整備してもらう体制ができていた。本件事故は、製造されたばかりの機械を購入して三か月足らずのうちに発生したものであつて、機械の点検整備が不十分であつたとは到底考えられない。
  2 本件機械には、安全装置が設置されていなかつたが、右機械は、クランクの回転数が他のプレス機械と比較して遅く、この点で機械自体の安全性は高いものがある。特に、本件機械の操作は、その足許にあるペダルを踏むと、プレス機械上部に取り付けてあるクラツチがはずれ、上部プレス型(原告のいうスライド)が降下して製品ができ上り、その後にプレス型は上昇して上部クラツチがかかり、自動的に停止する構造になつている。従つて、プレス機械を操作する工場長が足許にあるクラツチペダルを踏まない限り、上部型は絶対降下することはない仕組みになつている。原告主張のように二度落ちすることは絶対にない。
  3 原告の作業の内容は、工場長がプレス機械に材料を装置し、プレスが完了して上部型が上つた後、できあがつた製品を両手で取り出すことであつた。この作業の場合、神林工場長は、上部型が原位置に還るのを見定めたうえ、「おいつ」と声をかけて作業の終了を合図し、助手である原告にその製品を取出させていた。この合図がない限り、型と型の間に手を差し出すことは勿論、頭部などを差し入れないよう厳重に申し渡してあつたものであり、また、工場長の位置と製品を取り出す原告とは向い合つていて、相互に見透し得る間隙があり、工場長は、原告の動静を確かめたうえ、クラツチペダルを踏んでいた。従つて、右作業は、たとえ熟練工でなくても常識のある者であれば何人でもこれに従事できる極めて簡易、安全な作業である。普段この作業は、手の空いている女子従業員にもさせていたのであり、本件事故当時は、たまたま原告がこの作業に従事していたにすぎない。
  4 本件機械のストローク(上型と下型の間隔)は、プレス型をセツテイングしない場合には四六センチメートル、セッテイングした場合は二二センチメートルであり、この間隙から、工場長は、向い側にいる原告の動きを見ることができるのであるが、本件事故は、工場長が、プレス材料を下部型に置き、足許のクラツチペダルを踏み、上部型が降下しはじめたとき、原告は、工場長の「おいつ」という合図もないのに、何を勘違いしたか、プレス型の間に両手を差し入れてきたために生じたものである。以上によれば、本件事故は、全く原告の過失のみに基づくものであり、被告会社に責に帰すべき事由はない。
(ニ) 仮に、被告に責任があるとしても、原告の本訴請求権は、被告の債務不履行責任を問うものであるから、本件事故発生から一〇年を経過した昭和四七年五月一二日の経過とともに、時効により消滅しており、被告は、本訴で、右時効を援用する。
四、抗弁に対する答弁
(一) 被告の抗弁(一)の事実は否認する。
(ニ) 同(ニ)については争う。
   損害賠償請求権の消滅時効については、不法行為、債務不履行のいずれを理由とするかに拘らず、被告者が損害および加害者を知つたときから進行するものであり、被害者において損害賠償請求権があることを知る要があるところ、原告が右事実を知つたのは、昭和五〇年五月上旬であるから、消滅時効は未だ完成していない。
五、原告の再抗弁
(一) 消滅時効の進行に関しては、被害者と加害者との特別の関係から、被害者の損害賠償請求権を行使することが著しく困難なことが客観的に明らかであるときは、右特別な関係が解消され、請求権行使の障害がなくなつたときから進行を開始すると解すべきところ、原・被告間には、以下述べるような特別の関係があり、右関係の解消は、昭和五〇年三月であるから、本訴請求権は時効により消滅していない。
  すなわち、原告は、昭和三八年から同四〇年三月まで、礼幌市琴似の施設に入所し、機能回復訓練を受け、同年四月から同四一年三月まで、赤平市にある光生舎というクリーニングの授産施設に入り、軽作業になれるようつとめ、この間、被告会社に復職を求める手紙を出したが、被告会社は、原告との雇用関係があることを前提とし、将来受入れ条件が整えば、原告を復職させるとの態度であつた(なお、再抗弁(ニ)参照。)。そこで、原告は、昭和五〇年三月、被告会社に対し、手紙で復職などの配慮を求めたところ、被告会社は原告を休職扱いせず、金を支払う方法による賠償で解決したい旨の申出があつたので(なお、再抗弁(三)参照。)、原告は被告会社の真意を知り、その支払いを催告のうえ本訴に及んだものである。
(二) 原告は、昭和三八年一月、郷里へ戻る際、被告会社々長から、機能が回復したら職場復帰させるといわれていたので、昭和四一年三月ころ、被告に対して復職を求めたところ、被告会社はこれを断つたが、本件損害賠償の一部として金一〇万円を支払い、債務を承認したから、これにより消滅時効は中断した。
(三) 被告代表取締役である下村重雄は、昭和五〇年四月五日、原告に対し、書面で、同年五月から毎月三万円宛支払う旨申し出、本件損害賠償債務を承認ないし時効利益を放棄したものである。
(四) 原告は、本件事故後現在まで、労災年金の支給を受けているが、右労災保険法上の給付は、使用者に賠償責任がある場合には、実質的には、使用者の損害賠償責任の一部履行とみることができるところ(労働基準法第八四条第二項)、被告は、現在まで、原告に対し、労災年金の形式において、右賠償債務の一部を履行しているから、消滅時効の関係では、法律上賠償債務の一部履行と同視すべきである。
(五) 本件事故は、本件プレス機械の瑕疵、および、被告会社工場長の重大な過失に起因するうえ、被告代表者下村重雄は、原告に対して、一生面倒をみる旨述べ、原告が生活に窮したら再雇用などして生活を保障することを確約し、原告にそのような期待を抱かせて、事実上、原告に対して法的手段に出ることを妨げておぎながら、本訴において消滅時効を援用することは、信義則上許されず、権利の濫用というべきである。
 六、再抗弁についての答弁
 (一) 再抗弁(一)ないし(三)、および、(五)の事実は否認する。もつとも、同(ト)について、被告代表者下村重雄が、毎月三万円宛向こう三年間一応支給するとの内容は示しているが、原告から窮状を訴えられ、又、下村重雄が北海道出身であることから下村個人としてなしたものである。
 (ニ) 同(四)の給付の点は認めるが、労災年金の給付は、事故の被害者に対する政策上の見地から、同法によつてなされる労災保険上の給付であり、それが、損害賠償債務を承認して、その一部を履行しているものでないことは明らかである。
第三、証拠 (省略)

       理   由

一、本件事故の発生と態様
 請求原因(一)の事実中、原告が被告会社工場内で、プレス型に両腕をはさまれ、両手首切断の傷害を負つたことは当事者間に争いがないので、以下、本件事故の態様について検討する。
 成立に争いのない甲第一号証の一、二、同第二号証、乙第一号証、被告代理人が昭和五〇年一〇月二〇日本件機械を撮影した写真であることに争いのない乙第三号証の一ないし四、同第四号証の一ないし一〇、証人伊藤弘之、同神林銀次郎(一部)の各証言、原告本人尋問の結果(一部)、被告代表者尋問の結果(一部)によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、原告は、昭和一八年一月一八日生れであり、同三七年三月、北海道美唄市の沼東高校を卒業し、職業安定所を通した被告会社の募集に応じ、同月二〇日頃、被告会社にプレスエとして就職し、同会社の寮に入つて、製品の運搬、鉄板の裁断等の雑用的な作業に従事していたものであり、訴外神林銀次郎は、昭和二七年九月頃から被告会社に勤務し、プレスエないし金型の作成に従事のところ、昭和二八年頃からは、同会社の工場長となり、プレス機械の操作に当つていたものであること、被告会社は、昭和二七年に設立されたプレス等を目的とする中小の下請企業で、昭和三七年当時約二五名の工員を有していたが、訴外ミンク工業所から、大量の石油ストーブタンクの製作・加工を依頼され、同年二月、右タンク部分の製品化の量産設備として製作されたポンテイングプレス一三〇トン(被告会社の注文による極東工業株式会社昭和三七年二月製、一三〇トンは加圧能力を意味する)を購入して右製造に着手し、事故当日の同年五月一三日(日曜日)頃には、代休もないまま一日約二四〇〇個の生産に追われる状況であり、このため、原告と右訴外神林は、被告会社工場において、同日午前八時すぎころから、右プレスによる作業を開始し、神林が右プレスのペタルを踏んで、原告が、助手として、その反対側で製品を取り出す工程を繰り返し、午前一〇時頃から約一五分、正午から四五分の休憩時間をとつた以外、右作業を継続し、本件事故は、同日午後一時五〇分頃に発生しているが、原告にとつて、右助手としての作業は、事故当日初めてなしたものであつたこと、右プレスを右神林の側から見た場合の形態は、別紙図面のとおりであり(これに、上、下金型が装着される)、その上型部分(下むきの凹状)が落下する圧力で、下型(上むきの凸状)上に置かれた鋼鉄板が受け皿のように成型加工してこれを製品化することを目的とするものであるが、その回転数は一分間三〇回(一ストローク二秒、従前のものより遅い)で、上型が上昇した際の下型との間隙は、上、下金型が装着されていない場合に約四六センチメートル、又、上型、下型が重合した場合でも、その左右に、それぞれ約四〇ないし五〇センチメートル程度の広さがあり、下型の周辺下部にははね出しが装置されていて、上型があが必と製品が下型上に押しあげられるようになつていた、そして、右機械については、一日に三ないし四回の点検が行われ、ブレーキやクラッチ関係にとくに注意が払われ、本件事故当時までクラツヂピン等に故障がみられなかつたが、被告会社のような企業規模の会社では安全装置を設置することがなく、右プレス機についてもこれを装着していなかつた、しかしながら、昭和三八年頃、事故防止という観点から、右プレスにつき、光線式安全装置をつけ、後、その故障が多いため、クラツチに取りつけた押ボタン式安全装置に切換えたものであること(もつとも、右押ボタン式の場合でも、上型の落下中手を挿入するとこれを停止できないが、手がクラツチを入れる押ボタンに触れている以上、危険は未然に防止できる。なお、事故当時、右プレスに安全装置が設置されていなかつたことは当事者間に争いがない)、右プレスによる加工作業は、同機械の別紙図面右下部側にあるクラツチペダルを三ないし五センチメートル踏み込むと同正面上部にあるピンが外れてクラツチが入り、次いでクランクが始動して上型が下降し、材料の鋼鉄板がプレス加工され、上型が上昇し、クラツチピンが入つて自動的に停止したところで製品を取出し、次いで、鋼鉄板を入れてさらにペダルを踏むという単純・機械的作業であるが、右プレス機の構造上、右作業中上型が落下する間に手を挿入した場合でも、中間でブレーキをかけることはできない状況であり、又、一日の労働時間八時間、一日の生産量二四〇〇個との前提に従えば、本件事故当時一個について約一二秒で右作業を繰返していたとみられること、本件事故当時、訴外神林は工場長として、右プレス機の操作にあたり、同人の右後方約一メートルに位置する女性から、材料の鋼鉄板を受けとつてこれを下型の上に置き、ペダルを踏む作業を、訴外神林の反対側に位置する原告は、製品化されたものを両手で取り出し、これを自らの左側に置く作業を分担していたが、いずれも厚さ二センチメートル長さ一、五メートルのでこぼこのない木製の台(プレスの側がやや高い)上の作業であり、又、下型のはね出し(圧搾空気による)により、製品取出し作業は、両手の親指、人指指、中指の三本で若干持ち上げるようにして手前に引いて取出すことで足りたが、間々、製品が下型に密着し、ゆさぶりをかけながらこれを取出すこともあつた、この間、被告工場事故現場附近には約一〇台のプレス機があり、原告の直後約一・五メートルの個所には五〇トンのプレス機が作動し、組立関係、ないし、原告らにより加工された製品に穴をあける作業のほか、他に、二〇トンのプレス機が作動するなど騒々しい状況であり、本件プレス附近において、通常の会話をすることは不能であつたこと、本件事故当時の右製品と同一とみられるものは、厚さ○・八センチメートルの鋼鉄板が、プレス加工により受け皿のように成型されたもので、内径は二一センチメートル×三四センチメートル、外径は二三・五センチメートル×三六・三センチメートル、その深さが約三・七センチメートル、又、その総重量は約六〇〇グラム程度であること、本件事故当時まで、右五〇トンプレス機により手指を切断した者が二名位であり、本件一三〇トンプレス機による事故は、原告も含め二名程度であつたが、原告の受傷は、右手を手首と肘関節の中間で、左手を手首から切断したものであつて、その頃被告会社において発生した中で最も大きな傷害事故であり、原告は、事故当時軍手をさして作業していたため、事故直後、上型と下型の間にはさまれたままとなつて両手を抜くことができない状態であつたし、事故後被告会社により作成された労災保険の療養の給付請求書(昭三七・五・一五付)では、昭和三七年五月一三日、本件プレスを五人で分担してしぼり作業中、たまたまプレスの雄型が作動した瞬間、原告の両腕が、抜取作業とは異る不自然な形ですベリこんだため両前腕を切断したとの記載があること、以上の事実が認められ、右認定に牴触する証人神林銀次郎の証言、原告本人尋問の結果、ならびに、被告代表者尋問の結果(以上、各一部)は採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
 ところで、本件事故発生の経過および原因について、工場長の神林は、新入社員に対する特別の研修は行つていないが、プレス作業の前に、原告に対し、取出しの方法について説明し、作業注意をして、右神林が「おい」という声をかけるまで上・下型の間に手を出さないよう指導していたのに、原告は体がのめるようにして、上型の下ケてくるときプレス機の中に入つたため生じたもので、スイツチを切るのが精一杯であつたと述べているのに対し、原告は、上型が上つて製品を取出そうとしてゆさぶりをかけこれを上にあげようとしている最中に、神林の過失等により上型機が落下し、左手がやや手前であつたため、両腕を右側を深く切断したものであると述べているところで、受傷の状況と原告の供述は一応の一致を示しているかのようである。然しながら、以上認定の原告の作業内容、状況等によれば、本件プレス機における右製品の取出しは両手の親指等の三指で足り、作業野の広さから考えると製品を取出そうとしている際に本件プレスの上型が落下したとしても、通常指か手掌程度の受傷にとどまるとみられ(この点については、原告および証人神林の供述が一致する。)、作業の工程上製品を取り出さないのに、その上に材料を置き、さらにこれにペダル操作を加えることは、経験上疑問視され、又、かかる製品と材料が下型上で重なつたとの事跡を認める資料のないこと(かえつて、被告代表者尋問の結果中には、原告が、製品化されようとした鋼鉄板上で受傷したと窺わせる供述部分がある。)、および、後に二、で認定する原告の事故後における被告会社との応答の経緯、および、本件訴提起に至るまでの時間等に、前示認定の事実を総合勘案すると、本件事故は、本件プレス機の故障による上型の二段落ち、ないし、神林の誤つたペダル操作、つまり、誤つた踏みこみないし二重踏みのいずれでもなく、むしろ、原告の作業の不なれ、あるいは疲労、錯覚等により、右上型が降下する直前、原告が、自己の両腕を含む身体部分を誤つて、本件プレス機の上・下型間へ挿入し、これにより右事故が発生したものと推認され、原告本人尋問の結果中、本件事故原因に関する供述部分は採用することができず、他にこの反証はない。
一、被告の責任
 よつて、被告会社の責任の成否について審究するに、一般に、私法上の雇傭契約においては、使用者は被用者の労務提供に対し、労働の対価を支払うべき義務を負担するものであるが、設備、機械の構造、業務内容上、被用者に対し危険な作業を余儀なくする場合には、とくに、労働環境の整備、ないし、その関連における労働条件の調整等についても留意し、被用者の生命、身体に危害を生ぜしめることのない状況下で、これを安全に就業させる義務を附随的に負担しているものというべく(なお、昭和四七年改正前の労働基準法第四二条、第四六条の趣旨参照)、従つて、使用者において右義務に違背し、これにより被用者の生命、身体を侵害する結果を招来するに至つた場合にあつては、被用者に対し、右雇傭契約上の義務不履行に基づく賠償責任を免れないと解するのが相当である。
 ところで、被告会社は、当時、プレス機など約一〇台の機械を設備し、従業員二〇名余を有するに過ぎないいわゆる中小の下請企業であつて、本件事故当時までに限定しても、その従業員がプレス機等により間々受傷するような状況であつたことは前示のとおりであり、これに、後に三で認定する原告と被告会社の折衝の状況、および、証人伊藤弘之の証言によつて認められる同会社工場での同人の受傷、ならびに、不完全な補償を理由とする任意退職等の事実関係に従えば、被告会社における従業員の作業環境、および、その条件等が必ずしも十分整備、拡充されていなかつたと解されるところ、さらに、本件プレス機による作業においては、その操作の方法如何によつては、傷害等の危険が大であつたとみられるから、原告に対し、右プレス機操作の助手として、製品を取出す作業に従事させるについては、当時中小企業界において一般的なものとされた安全装置を設備しないという状況に従うことなく、押ボタン式装置など多少でも危害の発生を減少する装置を設ける挙に出ておれば、例えば、原告一人による操作が可能となり、危害の発生防止に資したとみられなくないばかりか、かりに、被告会社に対し、その企業規模等を理由に、当時において、かかる装置を設備する義務まで肯定することができないとしても、製造工程において、全体としての製造量、ひいては、製品一個を、加工するに要する時間に余裕をもたせるか、あるいは、事前に、作業に際し注意を払うようにと、その都度十分指導するのみならず、さらに、その継続中にあつても、ペダル操作をする神林と助手の原告との連繋を密にし、これらを確実な実施により、本件プレス機を防止する義務、つまり、前示安全管理義務を履践することが、被告会社につき強く求められていたとみられる。そうしてみると、被告会社においては、少くとも、本件プレス機に安全装置を設置しない状況を選択する以上、その代償として、作業条件改善のための調整が、右義務の一環として特に考慮されるべきであつたと考えられるところであるのに、被告会社においては、プレス工助手の経験のない原告に対し、特段の研修等を実施することもなく、神林において、原告に対し一般的な注意を与えたにとどまる程度で、事故当日、原告を本件プレス機の製品取出し作業に従事させていたばかりか、その頃、納期の関係等もあつて右製品の量産体制に入り、代休もあまり与えられないような状況下、右プレス機により一個の製品に加工する時間が僅かに一二秒という密度の高い状態で原告に就労を継続させていたものであつて、さらに、工場長の神林が、製品取出しの前、その都度原告に「おいつ」と声をかけていたとの事実は必ずしも明らかでなく、かりに、このような声をかけたとしても、被告工場内における複数プレス機の作動する騒音により、これが原告に達することもなかつたとみられるところであつて、以上によれば、被告会社としては、前示安全管理ないし保障義務を怠り、これに右のような状況下における原告の過失が競合して、原告の受傷という本件事故を惹起したものというべきであり、従つて、被告会社は、原告に対し、右債務の不履行を理由に、右事故による損害を賠償する義務があるものと解される。
三、時効の抗弁等の成否
 本件事故が、昭和三七年五月一三日に発生したことは前示のとおりであるから、被告の債務不履行による賠償債務は、特段の主漲等が認められない限り、同四七年五月一二日の経過とともに消滅することとなるので、以下右に関する被告の再抗弁について考える。
 成立に争いのない甲第一号証の一、二、同第三号証の一、二、同第四号証、乙第二号証の一、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める同第九号証の一、二、原告本人ならびに被告代表者尋問の結果(右各尋問の結果中、いずれも前記措信しない部分を除く)、および、弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和三七年五月一三日、被告工場において、本件事故に遭つた後、直ちに千葉大学附属病院に入院し、ついで、千葉労災病院に転院してそれぞれ治療を受け(右入院、治療の事実は、当事者間に争いがない)、同年七月、同病院を退院したが、右事故後、被告会社代表者の下村重雄が原告を病院に見舞い、原告が悲嘆にくれていたことから、その将来の面倒をみるといつてなぐさめたが、他方、労働基準監督署の署員が来た際、本件事故が原告の不注意によるものと話してほしい、そうでないと、労災年金に影響するよう告げていたところ、原告が、退院後、右監督署に呼ばれたことがあるけれども、直接の事情聴取はなされず、被告会社関係者の説明にとどめられたような経過であつたこと、原告は、右退院後、被告会社の寮に帰り、同会社に勤務する友人らの援助等で生活していたが、昭和三八年になつて、被告会社のすすめにより、郷里の北海道に帰り、札幌市琴似にある道立身体障害者更生指導所において機能訓練を受けることとなつたが、その頃、被告代表者が原告に対し、機能の回復とともに被告会社に戻るようにと告げていたことがあり、原告としても、その心づもりで、右訓練に精を出し、同四〇年三月頃までこれを継続し、同年四日から、一時、赤平市でクリーニング店に勤めるかたわら、同四一年三月には、被告会社に手紙を出し、機能も回復したとして、被告会社への職場復帰を依頼したが、これに対し、被告会社からは、企業規模も縮少したし、原告に適した仕事がないといつて、原告の申出を断る形となつたけれ才も、下村重雄は原告に対し、金一〇万円を渡して頑張るようにと話していたこと、そこで、原告は、同年四月、さらに美唄市の道立身体障害者重度更生指導所に入所して職業訓練を受け、和文タイプを習い、同四二年頃から、この技術を生かし、ミキ技研と印刷所を共同にするなど転々とし、同四六年九月頃から、北都工藝社(印刷所)において勤務することとなつたが、その後、生活が労災保険に頼らざるを得ない状況となり困窮するに至つたので、同五〇年三月、被告会社に対し手紙を出し、原告の被告会社における地位がどうなつているのかを尋ねたうえ、改めて職場復帰の希望などを述べたところ、被告会社は、原告の復帰は無理であると考えると応答し、右下村重雄において、原告に対する気持の表明として、今後三か年間、毎月三万円の金員を原告に送付すると話したこと、しかしながら原告は、これについて不満であるとして、その友人に相談のところ、労災保険を受給中であつても、別に損害賠償請求ができる旨教えられたので、これを被告会社に話すと、被告会社からは、被告会社に過失があるという考え方には賛成できず、又、仮に過失があつたとしても、すでに一三年を経過しているからその賠償に応じられないという返事であり、原告は、このため、被告会社との折衝でらちがあかないと考え、本訴を提起するに至つたものであること、このほか、前記監督署が本件事故の原因につき、どの程度調査したかの詳細は明らかでないか、昭和五〇年八月二〇日、原告代理人からなされた右監督署に対する照会に対する回答として、押ボタン式装置のある本件プレス機の存在、そのネームプレート、作業心得等についての認識、および、被告代表者らから聞いたとみられる本件事故発生等についての調査復命がなされているにとどまること、原告の被告会社との契約上の地位に関しては、原告が受傷にともない、被告会社のすすめで帰郷し、その職場を離脱している以外に、退職、解雇処分等の事実の存否については必ずしも明らかでないけれども、いずれにせよ、原告は、昭和三七年以降現在においても労災保険給付を受けており、右は、昭和三八年当時、年間金七万六七三一円であつたが、同四九年には年間金一于万四一七〇円と増額導れて来ていること、以上の事実が認められ、右認定に牴触する原告本人ならびに被告代表者尋問の結果(各一部)は信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。以上の事実関係に従えば、原告、被告会社は、いずれもその間の雇傭契約関係について明確な形で解決せず、原告においては、被告会社に対する復職を期待して機能回復等の訓練を続け、被告会社の態度等から、自ら生計を維持することを余儀なくされながらも、前示のような事故の態様、および、被告会社の申請による労災保険金の受給という事実から、同会社へ依存する意識さえ有していたと認められるが、昭和五〇年三月、被告会社からの受入拒否の意思が確定したところで、原告につき、被告会社への賠償請求権存在の認識、および、その行使についての右のような障害が除去され、本訴の提起として現実的なものとなるに至つたということができ、以上のような原・被告の関係、および、その折衝の経緯に鑑みれば、被告会社において、原告の契約上の地位の存否について確認する手段を講ずることなく、原告にむしろ復職を予定させるような漠然とした状態に放置しておきながら、右賠償請求権が事故後一〇年の経過で消滅しているとして、これについて時効を援用するのは、そのこと自体信義に反するものと評すべく、右は権利の濫用として許されないものと判断される。してみると、原告の再抗弁は理由があり、被告の消滅時効の主張は、その余の点について判断するまでもなく、結局失当に帰する。
四、原告の損害
 そこで、進んで、原告が本件事故により被つた損害について検討することとする。
1 逸失利益
  原告は、前示のとおり、本件事故により両腕を手首等から失う傷害を受け、千葉大学附属病院等に入院治療をうけ、機能訓練等を経て現在に至つているところ、成立に争いのない甲第二号証によれば、原告の受傷の程度は、身体障害者等級表による級別一級に該当することが認められ、この反証はない。ところで、原告は、被告会社にプレス工として就職、稼働していたものであるから、昭和三七年度以降においても、同種職種における男子労働者の平均賃金程度の収入を得る可能性はあつたと認められるけれども、本件事案に即し、これを次のように修正すべきであると考える(なお、原告は、本件事故発生日を昭和三七年五月一六日とし、これを損害算定の基準日とするので、以下それに従うこととする。)。
イ、弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時一か月金一万四〇〇〇円の給料を得ていたと認められこの反証はないところ、原告の受傷の程度、治療の経過によれば、右事故後一か年は、原告において休業を余儀なくされたとみられるので、これをホフマン式計算法により右五月一六日における一時払額を計算すると、右は金一六万円(金一、〇〇〇円未満切上げ)となる。
       1.4×12×0.95238
 ロ、原告の年令、その職業、熟練度などのほか、将来の不確定要素を勘案すると、原告は昭和三八年五月以降四五年間にわたり、一か月金三万円の収入を得ることができるものと推認されるところ、前記の原告の機能訓練ないし障害の程度等に従えは、原告は、労働能力を九〇パーセント喪失したものと認められる。よつて、以上に基づき、ホフマン式計算法に従い中間利息を控除して、昭和三七年五月一六日における一時払い額を求めると、右は、金七三一万七〇〇〇円(金一〇〇〇円未満切上げ)となる。
       3×12×(23.533747-0.952380)×100分の90
  然しながら、原告については、前示一で認定のとおり、本件事故発生につき過失があり、右事故の態様からこれを六〇パーセントと認めるのが相当であるから、これを、右イ、ロの合計額金七四七万七〇〇〇円から控除すると、その残額は、金二九九万〇八〇〇円となる。
2 慰藉料
  本件事故発生の態様およびこれに関する原告の過失、原告の入院治療の経過、原告の受傷の程度、とくに、それによる生活の支障、就労の困難等のほか、原告が昭和五〇年五月以降においても労災保険金を受給している事実等、本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、原告の本件事故による精神的・肉体的苦痛は、金二〇〇万円で慰藉されるのが相当であると認める。
 3 損害の填補
   原告が被告から金一〇万円の支払いを受け、又、労災保険による障害年金として、本件事故後、昭和五〇年四月分まで合計金二〇七万七〇八七円の支給を受けたことは当事者間に争いがないので、これを以上損害の合計額から控除すると(なお、労災保険給付に関し、すでに受給した分は損害額から控除するのが相当であり、その余については、主張等もなく、結局、前示のとおり慰藉料算定の事情事実とするにとどめる)、被告の弁済すべき額は、金二八一万三七一三円となる。
五、結論
  してみると、原告の本訴請求は、被告に対し、金二八一万三七一三円、および、これに対する本件事故発生の日の後である昭和三七年五月一七日から完済に至るまで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
 (裁判官 稲垣 喬)
札幌地方裁判所 昭和50年(ワ)第1043号 損害賠償請求事件 昭和52年10月18日